自然の恵み工房

卵油の歴史

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大奥でも使われていた
卵の精・卵油

江戸時代に花開いた日本の生活文化が世界に広まっています。特に寿司などの日本食文化は、健康に良いという認識も定着しています。
実は江戸時代は健康ブームとも言えるほど、日本中に健康意識が高まった時代でした。湯治・按摩・お灸・野草茶などを生活に取り入れて、健康を自己管理する文化が根付いていたのです。
卵油(らんゆ)もその一つで、大奥でも秘伝の妙薬として使われていたとか。当時は貴重品だった卵の黄身を原料に、長時間炒り上げてごく少量採れるエキスです。
400年以上の歴史がある卵油は、その後も絶えることなく伝え続けられました。そして大正14年に発刊された大ベストセラー「家庭における実際的看護の秘訣(通称赤本)」に載ったことで、改めて民間療法として広まったのです。

■本草綱目(約400年前)

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明の時代の「本草綱目」

卵油の紀元は平安時代とも奈良時代ともいわれ、定かではありませんが、古くから民間療法として語り継がれてきました。中国、明の時代の「本草綱目」(1596年頃刊行された中国や日本の伝統的な薬物学、和漢薬を記した書物)に卵油の記載があり、長い歴史をもっています。

■大奥に伝わる秘薬(江戸時代)

江戸時代には、第11代将軍の徳川家斉が大奥に伝わる秘薬「卵の精(=卵油)」を飲んで55人もの子宝に恵まれた、という文献が残っています。また、我が国初の養生・療養・介護・助産の書「病家須知(びょうかすち)」(1832年天保3年)にも、卵油の利用法が記されています。

■赤本の民間療法(大正~昭和)

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「家庭に於ける実際的看護の秘訣」(通称赤本)

大正14年に刊行された「家庭に於ける実際的看護の秘訣」(通称赤本)に、医学博士による卵油の臨床実験結果が掲載され、広く知れ渡るようになりました。その赤本には、卵油とその製法が紹介されています。

■貴重で高価だった卵油(戦前、戦後)

しかし当時は、卵油の原料となる卵はお見舞いに使われていたほど高価で貴重なもの。あるご老人から聞いた話では、卵油一升と家一軒が同じ価値であったとか。それでも、その貴重な卵を使って家族の健康のために卵油を作って飲ませ、その体験や作り方は脈々と受け継がれてきました。

■見直された伝統の卵油

戦後、アメリカ文化の流入に伴い、古いものは全て迷信とかたづけられ、東洋医学一般などと共に卵油を作る人も次第にいなくなり、人々の記憶からも消えかけていました。
しかし、伝統的な古き良きものを見直す動きの中、西洋医学一辺倒だった風潮が改められ、鍼灸などの東洋医学と共に民間療法のひとつであった卵油にも多くの関心が寄せられるようになり、そのすばらしさが再確認されるようになりました。

■文献に出てくる本物の卵油

原料となる卵は「物価の優等生」と言われ、貴重品から手軽な栄養源へとその立場を変えました。その過程で、大量生産する効率化のために大規模なケージ飼い、大量の薬の投与など、卵の品質も大きく変化してしまいました。
かつて全てが自然卵だった時代には、家庭でも技術さえあればそこそこの卵油を作ることができましたが、やがて卵油作りにふさわしい卵そのものの入手が難しくなり、住宅事情などもあって次第に作られなくなってきました。

■次の世代への伝承のために

それに呼応するように、各地で卵油を製造し販売されるようになりました。やがて需要が大きくなると、物価の優等生と言われる大量生産された卵を使った製品作りが中心になり、卵油そのものが文献のものと大きく違ってくるようになりました。
伝統の技術・文献の時代と同じ自然な原料卵、この両輪がそろった伝統の卵油を、きちんとした形で次の世代へとつないでいけるようにと「卵油作り方教室」を通じて、柴山弘文が啓蒙と普及活動をしています。

著者情報

柴山弘文 有限会社自然の恵み工房代表取締役

卵油作り方教室の講師を長年務め、全国400カ所以上で指導。昔ながらの卵油を製造することを目標に原料探しと試作を始め、沖縄産の平飼い自然卵を原料に「ちえの輪卵油」を製品化。また、沖縄産の野菜が持つ多彩で豊富な健康成分を摂りやすくした「なちゅらだま」を開発。

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