心房細動の回数が減って、発作の時間
が短くなり症状も軽くなって安心
千葉県銚子市 山口正一さん 72歳(取材時)
■過労と睡眠不足で倒れ不整脈に
「最初にアブレーションをしたのが12~13年前です。心臓カテーテルでは有名だった土浦協同病院で治療を受けました。ところが、ずっと悩まされていた心房細動の発作は治まらなかったので、同じ年に2度目のアブレーションをしました」
当時は、寝る間も惜しんで仕事をしていた山口正一さん。早い時は早朝3時に起きて、銚子漁港に水揚げされる魚を朝の競りで買い付けます。その魚を家に持ち帰って、マグロなどの大きな魚は解体してから2トントラックに積み込みます。
車の後ろはショーウインドウケースと魚を調理して販売できるように改造した移動販売車。出かける先は、筑波・栃木・横浜など。商店街の駐車場に車を停めて店開きする頃には、お客さんの長い行列ができるほどの人気でした。
「当時は睡眠時間も2~3時間でしたね。若いころは北洋や遠洋漁船に乗って機関長として働いていました。30歳位からは実家の船に乗って近海の漁に出ていました。病気知らずで体力には自信があって無理をしすぎたのか、42歳の厄年に倒れてしまったんです」
■自律神経の乱れが原因で一ヵ月半の入院
横浜で身体に異変を感じ、すぐに銚子まで戻ってきた山口さん。身体が自然に傾いて倒れてしまうので、立つことはもちろん座っていることもできません。救急車で地元の病院へ搬送され、一ヵ月半の入院生活を送ることに。
いろいろ検査を繰り返しましたが、これといった問題は見つかりません。過労による自律神経の乱れが原因で、めまいや不整脈を起こしていたのです。それ以来、ちょっと仕事をしてもダルさが抜けないようになってしまいました。
発作は決まって早朝3時か4時に起き、9時か10時位まで続きます。不整脈と同時に胸のあたりが何ともいえない感じになって不安定な気持ちになってしまいます。
「寒空の中、たくさんのお客様が並んで待ってくれていることもありました。とても嬉しいものの、自律神経のバランスを崩していた当時の私にとっては、多くの皆さんを待たせるのがつらい気持ちになってしまうこともありました。それでも頑張って仕事を続けたのは『魚を食べなかった子供達が先を争って食べるようになった』とか『新鮮で美味しい魚の味を知ったから、他で買ったものは食べられない』というお客さんの話が私の励みになっていたからですね」
■4回目のアブレーションを受けたけれど
活け締めした鮮度の高い魚を販売する山口さんの移動販売店は大人気。魚が売れすぎて、仕入れや準備も大変です。
退院した後も、睡眠時間を削るように働き続けていると、10年後に再びアブレーションをする事態に。健康のためにいろいろ試したり、常連のお客さんの中にはお医者さんや学者の方も多かったので、有名な漢方医や病院を紹介してもらいましたが、思ったように不整脈は消えません。
そして4回目のアブレーションを受けるときは、「これが最後の砦だ」という気持ちで、土浦協同病院にいた名医にすがるように横須賀共済病院へ行きました。
■卵油のおかげで手に入れた安心
「やっぱり不整脈は治まらないので、インターネットで見つけた卵油を欠かさず飲むようにしていました。他の健康食品と違って、体験者の話がたくさん載っているのが卵油を気に入った一番の理由です。卵油を飲みだしてからは、発作が軽くなりました。回数も減って、治まるまでの時間も短くなりました。不整脈の薬は飲まなくなって、今は卵油と血液サラサラの薬だけ飲んでいます。心房細動はまだありますが、卵油を飲んでいる安心感が日々の支えですね」
魚の移動販売は70歳になったのを機に店じまいした山口さん。それでも常連のお客さんから電話がかかってくることがあります。そんな時は「トラックを売ってしまったから」と話してお断りしています。
身体がなまらないように、今は週に3回ジムに行って健康体操もしています。若いころはマラソンや柔道をしていて体力には自信があります。
「現役時代から夫婦で旅行に行くのが大好きなので、これからも旅行に行くのが楽しみです。実は岐阜や穂高へ行っていて、昨日帰ってきたばかりなんですよ」
次はどこへ行こうかと考えるのも楽しそうな山口さんは、奥さんと二人でリタイヤ後の人生を楽しんでいます。
※お客様個人の感想であり、効果効能ではありません。